食べる量より、大切なこと
大切な人が食べられなくなったとき、あなたは「量」ばかりを気にしていませんか。あとひと口、もうひと口。でも、食事の本当の意味は、量だけではないはずです。
前回、義夫さん(78歳・膵臓がん)と妻の節子さん、娘の真理さんのことをお伝えしました。
食べることが生きがいだった義夫さんが、ほとんど食べられなくなった。「もっとがんばって食べて」という家族の言葉が、義夫さんを追い詰めていた。食卓が、家族全員にとってつらい場所になっていた——。
外来で私は節子さんと真理さんに、食べられないのは義夫さんのせいではないこと、身体の状態が変わってきていることをお伝えしました。そして、「食べる量ではなく、食事の時間をどう過ごすかを考えてみませんか」と提案しました。
それから少し経ったある日のことです。
真理さんがお見舞いに来るとき、桃を持ってきました。「お父さん、今日はこれだけ持ってきたよ」。大きな桃を一つ。よく冷えた白桃を、真理さんはその場で丁寧に皮をむいて、薄く切って小さなお皿に並べました。ほんの三切れだけ。
これまでのように、何品ものおかずをテーブルいっぱいに並べるのとは違いました。小さなお皿に、三切れの桃だけ。
義夫さんはその一切れをゆっくりと口に入れました。しばらく目を閉じて、味わうように噛んでいました。そして、こう言ったのです。
「甘いな」
たった一言。でも、その顔には、久しぶりの笑みが浮かんでいました。
「美味しい?」と真理さんが聞くと、義夫さんは小さくうなずきました。節子さんと真理さんは顔を見合わせて、ほっと息をつきました。

義夫さんが食べたのは桃を二切れだけ。量にすれば、ほんのわずかです。でも、「美味しい」と感じてくれた。笑顔を見ることができた。その一口が、何週間も張りつめていた食卓の空気をやわらげた瞬間でした。