抗がん剤のやめどきに、在宅医は黙っていていいのか

元気なうちからの在宅医療に、意義はある。ただし——
廣橋猛 2026.10.03
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皆さん、こんにちは。

今年は札幌で学会が多く、仕事のついでに美味しいものを食べられると密かにグルメ情報の検索に余念のない私です。来週末も行くので、今から楽しみにしています。札幌でお勧めのお店などあれば教えてください。

さて、今回は7月に札幌で行われた学会で講演した内容について、こちらで紹介します。

「見捨てられた」と言わせないために

「もう、抗がん剤はできません」

「そして、当院では最期まで診られないんですよ……」

この二つの悪い知らせを、同じ日に、同時に受け取る患者さん。これは決して珍しいことではありません。

治療が終わる。それだけでも大きな知らせなのに、続けて「ここではもう診られない」と告げられる。そこから慌てて、緩和ケア病棟や在宅医療を探し始める。

「見捨てられた」——そう感じてしまうのも、無理はないと思うのです。

先日、在宅医療の学会で、緩和医療学会との合同シンポジウムを企画しました。テーマは「抗がん剤のやめどきに、在宅医は沈黙していてよいのか」。今日は、そこで語ったことと、語りきれなかったことを書きます。

まず、なぜ「見捨てられた」が起きるのか。

東京のような都市部には、1つの特徴があります。がんの治療をする病院と、その後の療養を担う場所が、別なことが多いのです。治療する病院がいつも混んでいて、治療を終えた方をみている余裕がないのです。治療が終われば、患者さんは別の場所へ「受け渡し」される。治療とケアが分断されやすい。

そして病院には、二種類あります。最期まで診ることを「良し」とする病院と、「良し」とできない病院。都市部に多い後者は、治療が終わったら、患者さんをどこかへ送らなければならない。

この構造の中で、私が以前から提案してきたのが「2人主治医制」です。

がん治療が終わってから緩和ケア医や在宅医に交代するのではなく、治療中から、将来を見越して、並行して関わる。そうすれば、治療終了は「見捨てられる日」ではなく、すでに知っている医師にバトンが渡る日になる。

ここまでは、学会でも、これまでの発信でも語ってきたことです。

でも、先日ニュースレターで、私はこう書きました。友達とデパートに出かけられる患者さんに、在宅医療を勧める病院への違和感。「通える患者さんに、在宅医療は必要ですか」と。

矛盾しているように見えるかもしれません。2人主治医制を提案する私が、元気なうちからの在宅医療に疑問を書いたのです。

矛盾ではないのです。問題は「元気なうちから在宅医療を入れるかどうか」ではなく、並行して診ている期間に、在宅医が何をするかにあります。

学会のスライドに、私はこう書きました。

患者さんは思っている——
「なんで在宅医療が必要なんだろう。治そうと思って治療しているのに。家に他人が来るの、面倒くさい」

在宅医も思っている——
「私は何をしたらいいのだろう。患者さんは病院の主治医を信頼しているし」

何もせずに、ただ待っている在宅医療なら、たしかに、いらない。

では、何をすべきなのか。何をするのなら、在宅医療はいるのか。

ここから先は、そのことを率直に書きます。

待っているだけの在宅医は、いらない

答えを先に書きます。

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